エンジニア
磯崎 慶太
神奈川県横浜市出身。大学在学中にサンフランシスコでフードシェアリングアプリをローンチ、創業する。開発から営業までほぼ全ての業務を担当。帰国後、フリーランスエンジニアとして企画段階からWeb、アプリ開発、企業の社内システム開発などを行う。その後、創業者CTOとしてヘルスケア事業の会社を創業。パーソナルジムの経営や、新規Webサービス、アプリ開発を行う。2019年2月にoverflowに参画。趣味はサウナ。
個性派揃いのoverflowでも異色の経歴を持つ磯崎。アメリカと日本で起業経験をもつ彼は、なぜoverflowにジョインをし、何を成し遂げようとしているのか。起業の経緯からoverflowで成し遂げたいことまでをインタビューした。
CTOのレクチャーで、見える世界が広がった
——:早速ですが、overflowではどんなことを担当されていますか?
フロント・バックエンドを問わず、「Offers」の新規機能の仕様や設計を考え、実装しています。あとはコードレビューですね。最近はCRMを自動化する対応も担当していました。
技術はこれまで全て独学で学んでいて、今まで僕には師匠と仰げる人がいない状態だったんです。ここでは分からないことは大谷さん(overflow 共同創業者 CTO)に教わることを繰り返していたら、見える世界が広がりましたね。
——:成長したと感じるのはどんなことですか?
チーム開発ですね。他の人が読みやすかったり、保守しやすいコードを書くといった基礎的で当たり前な部分はめちゃめちゃ身につきました。
今までは、「最速で動くものが作れれば良い。何か起きてから全て考える」スタイルでやってきたので、規模感考えての開発の感覚は徐々に身についてきました。今までは、小規模の開発で終わっていたので、想像することもできなかったですね。
——:大谷さんからはどのように教わっているのでしょうか?
Slackで聞いてます。リモートのときも一緒にオフィスにいるときもSlackですね。最近は、sneekという皆の様子がわかり、ワンクリックで会話できるツールを導入したので、オフラインで隣にはいませんが、なにかあれば適宜話して聞いています。
資金もアテもなし、思いの強さだけでシリコンバレーへ
——:先ほど開発を独学で学んだと伺ったのですが、大学が情報系で基礎は知っていたとか?
いえ、大学は経済学部でしたので、文系ですね。IT業界自体については、大学3年生のときにスタートアップでインターンをしてて、そこで興味を持ち始めました。それでそのまま、シリコンバレーに行って、起業したんです。
——:えっ、シリコンバレーってアメリカの……?
そうです。もともと起業がしたかったので、それに向けてどうしようか考えていたとき、当時はシリコンバレーが僕の中で聖地だったので、そこへ行って成功したら世界中のどこででも成功できるんじゃないかと思って(笑)大学卒業を待たずにノリで行きました。
ちなみに語学もプログラミングもシリコンバレーに行ってからゼロから覚えたんですよ。本当に最初は何もできませんでしたね(笑)
——:急な展開でびっくりです(笑)シリコンバレーにアテになるような人はいたんですか?
人脈もゼロです。とりあえず行って、ちょっとずつ開拓していきました。シリコンバレーでは本当に貧乏だったので、クッキーとピーナッツバターで飢えをしのいでました。
——:シリコンバレーで起業できたきっかけはなんだったのでしょうか?
シェアハウスに引っ越し、そこで僕のやろうと決めていたことと同じアイデアを持つ人がいて、意気投合し始まりました。
その後、本当にお金がなかったので投資家を探し、たまたま良い方と出会うことができました。その投資家はニューヨークに住んでいて、「ニューヨークでサービスを展開しないか?」って誘われて、シリコンバレーから拠点をそっちに移しました。
幸いなことに、その投資家が住居とお金と食事まで提供してくれたんです。投資家の家には地下室があって、そこでよくミーティングを行ってたのは思い出ですね。こちらがその時の写真です。
——:どんなサービスを作ってたのですか?
フードシェアリングアプリを作っていました。これは大失敗でしたね。ぜんぜん使ってもらえなくて……。
——:トータルで、アメリカにはどれくらいの期間いたのですか?
1年半くらいですね。当時は「一生日本に帰らない」ぐらいの気持ちでやってたんですけど、徐々に現実が分かってきたんです。ビザとか大変だなって(笑)
——:ちなみにアメリカで得た教訓みたいなことはありますか?
法人営業もやってたんですけど、握手が弱いとその時点で話が破綻するってことを学びました。大事なことは謙虚さではなく、虚勢をはってでも自分を強く見せる動物的な感覚が必要なんだと痛感しましたね。
今は日本社会に染まってきたので、この頃の感覚を忘れちゃってますが(笑)
活動の拠点を日本に移し、ヘルスケア領域の会社を起業
——:帰国後はどんな生活を?
ニートだったんですけど、ロンドンにいた知り合いが体調を崩してしまい、現地でサポートをしてました。それと同時に、受託開発を行っていたのでアプリを4つ作りましたね。暇だったんです。そうじゃないときは週6でパチンコしてました(笑)
——:今度はイギリスに!? アメリカ時代と一気に生活が変わりましたね(笑)
そうですね。イギリスから帰国後はフリーランスで受託開発を行っていました。知り合いに紹介してもらいながら、少しずつ仕事を増やしていきました。
とにかくお金が欲しかったので、いろいろ開発しましたね。あとはなるべくやったことがない案件に挑戦して、スキルも会得していきました。
——:フリーランス時代の仕事の状況はいかがでしたか?
かなりハードでした。この時期は人間としての生活を全て捨ててました(笑)自分にスキルもないので分からないことばっかで……。とりあえず僕にできることは寝ないことだと思って、寝ない努力はしてました(笑)
それで、そのあと起業しました。
——:設立した会社はどんな事業を行っていたのですか?
ヘルスケア領域で事業を行っていた会社です。筋トレ関連のアプリを作ったりパーソナルジムを運営したりしていました。
——:なぜ事業領域をヘルスケアにしたんですか? もともと興味があったとか?
ヘルスケアには以前から興味がありました。周りの人が突然死んでしまうのは個人的には人生の中で印象深いショックな出来事で、まだまだ解決策として不完全だなと感じていたので。
それに健康というテーマって万国共通なので、うまくいけば再びアメリカに戻れると思っていた中、たまたま友人から「健康をテーマにやりたいことがあるんだけど、一緒にやらない?」って相談を受けて。
——:このときの成果はいかがでしたか?
アプリを5個作って、5個潰すっていうような感じでした。方向性も定まらず、グロースもできなくて……。作っては潰して、を繰り返してました。この会社では1年ほど活動して、その後、脱退する決断をしました。
overflowは無駄な縛りがない
——:その後、overflowに入社されるのですか?
そうです。もともと田中さん(overflow 代表取締役 CPO)とは知り合いだったんですけど、ジムで筋トレしているとき田中さんに「overflowを手伝ってみない?」って声をかけていただいたのがきっかけです。
「技術的には大谷さんがいるから勉強になると思うし、利用してくれたらいいよ」 とまで言ってもらえたので、技術者としてスキルを磨きたいという思いもあり、まずは週3で働くことにしました。
——:週3? 他の日は別な仕事をされていたんですか?
一切してないです。overflowで使われている技術が初めてのものばかりだったので、キャッチアップする時間にあてていました。その後、いろいろやってたら週5で稼働しなきゃ終わらなくなったので、勝手に週5にしました(笑)
——:実際にoverflowで働いてみていかがですか?
すごく居心地がいいですね。鈴木さん(overflow 代表取締役 CEO)がよくおっしゃっていることですが、性善説が全てなんです。アウトプットが出ていればOK、というシンプルな考えなのでやりやすいですし、僕の人生の思想とも合います。
それに無駄な縛りが一切ないので最高ですね。現在、オフィスがなくなることが決定し、リモートでのチーム開発をしていますが、元々リモートでの作業もokの環境だったので、スムーズに移行できています。
その際も性善説ベースで仕事を進められているので、無駄な監視等一切なく、アウトプットだけに集中できます。
——:共に働くメンバーに感じることはありますか?
無駄なことは一切しない人が多いと思います。あとは、お互いへのリスペクトを持っていること。それをベースに個人のスキルがあるので、余計なことに時間や体力を奪われることなく、プロダクトに向き合い続けられます。
面白いところは、リモートワークが多いですし、それぞれの持ち場がいろいろな箇所に分散しているのに謎の団結感があるところです。
まずはCTO大谷さんの仕事を奪う!
——:「Offers」をどんな風に育てていきたいですか?
まずは、自分の求めるお金、環境等が完全にマッチした仕事に最速でたどり着けること。一つの場所に依存せず、それぞれのライフステージに合わせて柔軟な働き方ができる社会を実現させていきたいです。
副業って不透明なところがまだまだ多いと思ってます。まずはそういうところをクリアにして、働く側が面倒なことなしに働ける状況を作りたいですね。
——:面倒なこと?
僕がフリーランス時代に面倒だったこととして、クライアント探しや就業条件の調整などがありました。
そういったことが一切なく、すぐに働ける、希望に合ったプロジェクトに参画できるなど、シンプルにそこに行き着き、アウトプットを出すことに集中できる環境を作っていきたいですね。
——:実体験があるからこそ、働く側への思いがあるのですね! では最後に、これからの意気込みを聞かせてください。
引き続き、手を動かしてひたすら「Offers」の開発を続けていきます。そして、他社からも一目置かれる開発チームを作っていきたいです。そのためにも、まずは大谷さんの仕事を奪っていきます!